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おなじことをなんどでも書く

真夏





新木場STUDIO COASTが今日店じまいだったそうで、以前書いていたブログを読み返し、WALKMANの電源を入れて昔夢中になっていたバンドを聴き返すなどし、また再び寝不足に陥る予定の深夜です。
好きな人がいたわけですよ、人生で一番ね。仕事中に何の前触れもなく名前を思い出して、ああそういえば元気してるかななんて思って。ツイッター開いたら(まあそのひとのことはブロックしてるんですが…)時々行っていたライブハウスが終わってしまったというツイートを見て、じゃあ今日は聴こうかと思ったわけです。

人生で一番の恋がわたしにとってはバンドで、何言ってんのって言われるかもしれないけどどうしようもなく事実で、最終的には失恋して。失恋した後は自分と向き合う以外にやれることがなくてダイエットしてみたりしたわけだけど、そうしてまたブログなんか書いて、コンプレックスをさらけ出してみて分かったのは、多分わたしの根っこにある願望、全ての悩みから解放されたときの心の神様(って言い回しは『少女ファイト』って漫画に出てくるよ読んでね!)は、「愛されたい」ただ一辺倒なんだろうってことだ。
親に愛されなかったわけではないのは解るんだよ。でも両親はわたしより兄の方が大事だった。それは多分思い込みじゃない。進路のときの話とか男女の違いとか。わたしが自分の性別に抵抗があることも、かといって女性性への偏見に過剰反応したり著しい嫌悪感が沸き起こることもそこからきているのだと思う。男ってだけで優遇されて良かったね。裏を返せばこれだって偏見に違いないのだけど。

若くして死せず、生きてきて書いてきて思ったのは、大人になるということは自分の歪みの由来に気づくということなのかも知れない。

いつだって寂しいし、いつだって飢えている。
cali≠gariというバンドと青さんが好きだったときだけが孤独感と飢餓感を忘れていられた。穴は塞がれていたし器は満たされていた。
自分のジェンダーに抵抗を持っていたわたしは他人で寂しさを解消することが出来なかった。空虚な偶像に頼るしかなかったのだ。それでも、その偶像の出来は未来永劫それを越えないほどに完璧で、多分わたしを愛してもくれた。得難いことだったと思うよ。

これからは自分で穴を塞ぎ、自分で空の器を満たしていかなくてはならない。他人にそれを任せられずもう偶像を作り出す熱がない自分はそうしていくしかない。なんとかやっていって、そしていつか、わたしがわたしになれたなら、自分自身の顔をして会いに行ってみたいと思うのだ。