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おなじことをなんどでも書く

愛さずにはいられない

 

 

 

 

 

久しぶりに書けたね

 

 

仕事家事運動睡眠仕事家事睡眠仕事睡眠仕事睡眠みたいな日々です。最近は毎日2時間〜3時間の残業をしていたので運動はもとより家事も疎か夕飯すら食べられなくなってきた。家に帰って糖質オフの野菜ジュースとプロテインをぶっこみシャワーを浴びて布団に入る。ついでに痩せねえかな、痩せねえんだな。運動以外で痩せてもな、と一時20kgのダイエットをしたわたしは思うのである。5kg戻りましたけどね。

で、まあ無意識に癒やしを求めていたのか国民的アイドルのトリッキーなメンバーに落ちかけていてまーじで理性が絶対拒否って感じ。今沼のへりでめいっぱい足を踏ん張っている。落ちたくなさすぎる、今になって最年長すら年下のジャニーズなんて。キッツい。無理。そんな体力ねえー!

踏ん張っているとかいう割にはもう諦めちゃいたい気持ちもあり、だって疲れているから、先日は明け方までずーっと動画を見ていて寝不足で次の日の仕事が一瞬で終わった。眠気こそ来なかったものの目はヒリヒリするしふとしたときに頭痛がしたり傾いたときにくわんとしたり。あと寝不足のせいで風が吹けば泣きそうだった。まあでもそれもギリギリ通常の範囲内だ。

何も考えずに泥のように眠ってしまいたいと思って、でも頭のどこかが煌煌と光っていて眠れないからこれを書いてる。動画とかラジオとか流したいけど、なんか、そうしないではいられない状態になりたくない気がして。じゃあ文章でも書くかってね。目には悪いけどね。

 

何でわたしは生身の人間を愛することが出来ず、偶像ばかりを愛し、というより、偶像を愛さずにはいられないのでしょうか。

愛されたくて愛されたくて仕方がないのに誰も愛してはくれないし、愛されたところで反射的に拒絶してしまう。もうどうにもならないのだ。何故、わたしはそちら側になれなかったのか。自分が愛されてもいい存在だといつまで経っても思えない。

落ち込んでいるわけではなく、全く以て理性的に、平常心で死にたいと思っている。消えてしまいたいとか。鬱っぽい気持ちならまだ、でも、人生における目標がなるべく早くなるべく迷惑をかけずに死ぬ以外にない。ごくごく当たり前に、明日仕事なので早起きしますと変わらないテンションで、早く人生終わってくれと思ってる。

それなのにどうしてまた何かを好きになろうとするのか。愛そうとしているのか。まだ大丈夫だけど、今なら引き返せるけれど。わたしがいるのは沼のへりなどではなく、どちらかといえば崖のふちなんだろう。

 

最初はずっとニコニコしているところがいいなと思った。ずっと開いているところが印象が良かった。楽しそうにはしゃいで踊っているのを見て、わたしが人生で一番楽しかった時期に重なって、何かを無邪気に、完全に単純に好きで楽しんでいるであろう様子が懐かしく感じて気になった。そう思って見ているうちに、ダンスがめちゃくちゃ上手くて、それ以上に表情を作るのが上手いなと思った。身体でも顔でも表情ががらりと変わる。もっと見たいなと思った。声の高さもいい、ついでに首鼻輪郭が好みです。首フェチです俺は。

あくまで一個人の感想でしかないから他人が同じように思うわけもない。でも自我すら忘れるくらいの“楽しい”を知っている人は強いと思うし、あのこはそれを知っている人なんじゃないかと思ったのだ。だから良いなと思った。わたしもそうだ。あれがなかったら今頃生きてもいないだろうなと時々ぼんやり思う。同時に、あの瞬間に、あの夜に、あのライブハウスで事切れていたかったとも思うね。いまだに。

 

落ちたくなさすぎる、この期に及んで。

気楽に好きで適当に応援出来ればいい。今はまだなんとかなる。でももしも万が一また、例えそのこじゃなかったとしても、あのひとみたいにまた、見せかけの骨格の空の髄までしゃぶり尽くしたいと想える相手に出会ってしまったら、今更どうすればいい?

前回でね、思ったの。「好きで、それが結局何?」って。なんにもならなかったよ。いや、なにかにはなっていた。わたしには。わたしのなにかにはなっていた。だけど、わたしはあなたのなににもならなかった。なれなかったんだよ。

弁えることすら忘れてしまいそうになるような激しい愛情が、永遠に縮まらない距離を憂うようになってしまった醜い決着が、わたしがわたしを嫌いにさせる。

好きなものなんてなくったって人は生きていけるよ。それはここ数年のわたしが証明だし、ずっとそうなりたかった。何かを好きになることは自分の一部を預けることだと思う。自分の基盤すらちゃんとしてないで何かを好きになったところで、よりぐらついて不安定になるだけだ。

元々愛情とか情熱とか少々過多な性質なのではないかと疑っている。愛されない分だけ他人を愛そうとする。それで満足できるから質が悪いのだ。わたしの基盤は一生安定しないだろう。だからせめて均衡を保つために出来るだけのものを手放そうとしている。

 

激情型の自分は、気に入った偶像に好きなだけ自分の理想を押し付けて、それが現実に叶えられなければ落胆する、そういう生き物に成り果てる。それが目に見えているから嫌だ。

これ以上自分にがっかりしたくない。

そして、届かないと、縮まらないと、必要以上に思い知りたくもない。

もう二度と。

 

好きで好きで好きで、そして、全て幻だ。全てが。わたしは結局何を愛したの?わたしが愛したものは何?虚しい、わたしの愛はどこへ行ったの。

 

それが今のわたしの終点だ。だからもう走り出さなくていいよ。わたしの青春は終わったの。

大丈夫、なんにも好きにならなくたってわたしはわたしでいられるよ。だから諦めてくれ、もう一度なにかに恋をしようとするのは。