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おなじことをなんどでも書く

♪:絶体絶命

 

 

長文です

 

 

昨日の朝、「もしかしてこの子かも、辿り着いたかも」と思ったアイドルくんの主演ドラマの一報が入ってきた。因果因果、これが因果だ。オタクらしい都合の良い解釈で合いすぎたタイミングに何これやばい運命かも!と昂った。すっごいめでたいし超嬉しくて、そういうふうに感じたことにも驚いた。ハマりたての最大瞬間風速で好き好きなってて後で恥ずかしくなったらどうしよなんて苦笑いして。本当におめでとう、絶対見るからねと思った。そしてテンションが上がったあと、急激に怖くなって頭も体も冷えるような感覚がした。好きになることに、というか「好き」という感情自体に怯えを抱いてることにはもう自覚がある。わたしは多分いろんなことに対して自覚的で自意識を纏わせがちだ。

 

昔人生を擲っていたほど好きだったバンドがある。どれくらい擲ってたかというと月給有り金全部つぎ込んでたくらい。ウケますね。全然ウケないですね。ひと様からしてみればまあ大惨事であったわけだけど、わたしとしてはわたしがわたしを救うために必要なことだったと思っていて、後悔なんて出来なかったし今も人生のハイライトというか走馬燈になるだろうと思うほど好きだったし感謝もしている。ただ遺恨もある。そのバンドを上がることになった顛末としては以下みたいな感じ。

それまでの中でもクオリティが高く盛り上がったツアー・ファンから要望が多かったバンドとの対バン→第◯期(メンバーチェンジごとに期を分けて呼び名があった)終了のお知らせ(解散か脱退かも何にも分からない)→関係者がリークしたとやらで脱退者が出ますとだけアナウンス→ライブ本編のラスト、アンコール前に脱退者本人が理由を言わずに脱退を発表→終演後に発表された1週間後の追加公演で本格的に脱退→次の期が始まり雑誌等にて脱退者を責める・揶揄しているとも取れる発言

ああ、主観だけど今思い返しても結構な地獄。元々トリッキーなことをよくするバンドではあったしこれが外の人から見てどう映るかは分からないんだけど、個人的にこのやり方って「ファンのため」って視点には立たれていない気がするんだよ。好きなものが終わること、そして終わり方に納得が出来なかった(というより言葉を選ばなければマジで意味分かんねえふざけたやり方だった)ことが当時のわたしにはものすごくダメージになった。悲しくて寂しくて悔しくて苦しくて何度も何度も何度でも泣いた。どうにも出来なくて吐き出さなければどうにかなりそうで手の甲をガリガリ掻きむしりながらたくさんの言葉を書いた。嫌なことも書くべきではないことも全て、全てを自分から押し出して遠ざけるように書いた。忘れるための努力をした。音楽を聴くこともやめて情報もシャットアウトした。その間何が楽しくて生きていたかぼんやりとしているくらいそれなりの年月をかけて自分の腹に落としていったつもりだけど、残念ながらまだ落ちきっていないのかも知れない。今でもあの辛さは鮮明に思い出せる。

ただ、わたしの人生という面から見ればタイミングとしてはこれ以上なかったと思っている。まだあのメンバーでバンドを続けていたらわたしは無理矢理にでも上京してギリギリの生活をしながら或いは破綻しながらでも追いかけて追いかけて自分で自分を引きずり落としていたかも知れないからだ。だからまあ、なんだろう、不幸中の幸いみたいなところに落ち着くんだろう。

問題はそのときとその後の自分の「出来事と感情の回路の繋ぎ方」で。あれ以来わたしは随分推し⇔ファンのストーリーに冷笑的になった。願っても祈っても叶わない。推し側の行く方向や決定に対するファンというものの無力さと虚しさ。それはそうなんだよ。彼ら彼女らは決して操り人形ではないし、本人たちの意志や夢や「やりたいこと」を我々が好きに齧っているに過ぎない。だけどあまりにも、あまりにもあのことがしんどすぎて、推しとファンの間に存在するらしい信頼とかあたたかさとか愛とか綺麗事だなあとまで思うようになった。いや場合によるよ?美しく思えるときはなくもない。半々。どうせ商品と消費者だろ?って。極論ね。まあ今でもそこは若干は正しいと思っているんだけどね。綺麗な商品とキモい消費者。このへんはちょっと別の話になってくるので割愛しますが…

多分ね、もっと単純にね、なんというか…リターンってあんまりないじゃん、応援って。勿論見返り目当てで応援なんてしないよ、夢中なときはね。何なら手元にCDやグッズは残る、思い出も残る、新しい人間関係も構築される可能性がある、リターンはちゃんとある。幸せになれるよ。それにもしかしたら認知とか、実際に関わるなんてそういうこともあるかも知れないよね。だけどまあ通常はお関わり合いもない相手に入れあげて、費やせば費やすほど顔も覚えられてないのウケるし、愛しても愛しても名前も呼んでもらえないの最高に笑っちゃうじゃん?なんかそういう気持ちになってきちゃうんだよね、不思議と。どんなにわたしが有象無象の魑魅魍魎残高少なめATMだって解っててもさ、あの1件以来何故かそこに目がいくようになってしまった。いくら出せる有り金全部ぶち込んでも、何度時間を捻出してライブに行っても、ここで死んでもいいって思うほど愛しても、ここで死ぬんじゃないかってくらい泣いても。脱退は止められない。別れは止められない。終わるのを止められない。じゃあ、わたしって、わたしのあのこころって、一体なんだったんだろう。なんのためにあったんだろう。そのどうしようもなさはやっぱりそれなりにトラウマになったんだろうし、そうやって全てを馬鹿馬鹿しく感じて冷笑することで自分を守るようになっちゃったんだよな。ヒー、今書いててもつらい。惨めすぎてウケるね。ウケろや。

 

好きになるのが怖いんだよねえ。期待してのめり込む自分への嫌悪感。なんにもならないことへの恐怖心。あのときと同じようなことになったら多分もう自分を立て直す術はない。わたしが過去死ぬほど吐き出しても晒されたり叩かれたりしなかったのはわたしのブログの閲覧数がなく、あのバンドの客数がそれほど多すぎず、こういうひずんだ情熱を持ちがちなファンを抱え、そして少なくとも共感をしてくれる人がいたからで。よくブッ叩かれなかったなって今でもちょっと思う。それどころか読めて良かったですなんて言ってもらえて救われちゃったりしてね。それにああして吐き出すにも体力が要る。きっともう同じことは出来ない。同じくらい好きになれるかは、結局分からないんだよなあ。自分にも。ないとは言い切れないからいやなんだよ。もう情熱はほとんどない筈なんだけど、何かを好きだなあと思う気持ちは残念ながらまだある。愛情がある。呼び戻されたらどうしよう。キミがそれくらい素敵だったらどうしよう。好きになることは幸せなんだけど、応援したいんだけど、喜んでほしくなってしまって、だからどうしても怯えてしまうんだ。

急に寒くなってきて特にここ数日は朝方の気温が10℃を下回る。眠れない夜を推したちの音楽や動画でやり過ごすとね、寒さも相俟ってまあ朝がつれえの。仲間に入れてもらったかのような錯覚に陥って幸福な気持ちのまま温かい布団に包まれて眠る。でも目がさめればひとり。肌寒くお日様も見えない、不安定な空に普段より強く襲う孤独感。恋しくて仕方ないのにどこにも誰もいない。どうにかなりそうで震えが来る。現実は朝に見る。だからわたしは夜よりも朝に絶望があると思ってるよ。自分以外にそれを言ってたの、観測範囲では人生で唯一の本命麺だけだったね。

猪突猛進型くどい愛持ちがち蠍座の女のわたしは本当に何かを好きになると破滅に走ろうとする癖があるよね。季節の変わり目とバイオリズムと前夜との落差に苦しみながら考えた。わたしはきっと一旦好きになったら全力で愛すべきだというガチガチの固定観念に囚われてる。昨日初めて気付いた。内心の距離感を見誤ってる。もっとヘラヘラ好きでいていいんだよ、推しなんだし。本来はそういうものなんだよ多分。商品と消費者なら、人間と人間とで対話することが叶わないのなら。もっと自分を緩めて許していった方がいいよ。実際出来るかは別として、でも、そういう努力はすべきだろう。だってそこにしか目をそらす方法がないんでしょ?

あーしんど。自意識だる。なんでいちいちこんなこと考えながらだれかを好きになんなきゃいけないの?もっと推し活()推し事()って気楽なもんじゃないの?それがねえ、ないんだよねえ。人生かかってるパターンの方の人間だからねえ。推しがいることによって生きている人ってたくさんいるし、何ならまじ文字通りに命助けられている人がいて、わたしもそうだったから出会い頭にNOを突き付けることなんて出来ないんだけど。でも助けてもらわなくても大丈夫な人しか健全な推し活なんて出来ないと思うよ本当。生活や人生を犠牲にする推し方は絶対やっちゃ駄目なんだよ。だって最終的に助かっていないことになるから。せっかく助けてもらったのを本末転倒で無意味にしちゃうからね。破綻しかけた先人として言わせてもらいますよ。ツイッターの元ツイート消えたのか鍵かけたのか見れなくなっちゃったけど、あれに反論が出ることに未来を案じちゃったね…

 

 

いやー気楽にいきたいよ。ドラマおめでとうでこんな気持ち悪い長文書くことになるたあ思ってませんでした。とりあえずCSなので放送迫ったら契約しようと思います。こないだ超びっくりしたんですけど歌声がまじでドンピシャドストライク火の玉ストレートめっちゃ好みでめっちゃ好きでした、あとキミが笑ってるとこ見るとすっごい幸せな気持ちになります。ああ既に重い片鱗がみえる!しぬ!