ムックばっかり聴いてる。2016~2018あたり?のアルバムを。鬱々とまではいかないもののクサクサした気持ちにめちゃくちゃ合うんだそのくらいの時期のやつが。重たくて骨太な音とメロディアスで独特なボーカル、男らしいコーラス。やっぱり男性ボーカルが好きだなと思う。わたしは07~08年あたりからムックを聴き始めたド新規だけど、なんていうか、その頃からメンバーに対しての思い入れがあんまりなかった。思い入れることが出来なかった。決して悪い意味ではないのだが、多分メンバーの誰にも共感しなかった。それが非常に幸運で、今ではなかなかじっくり聴けなくなってしまったバンドが多い中でも普通に「良良良~!」とかふざけながら聴けるのである。まあドラムの脱退はとても残念だが、まあ。それはそれ、これはこれと思える。めちゃくちゃ助かる。めちゃくちゃ助かるんだこれが。あとなんていうか、ムックが好きだと思える自分のことを好き、良い意味で。見栄とかではなく。そう思えていることに安堵がある。良いことだ。
買い逃していたアルバム2枚がずっとAmazonのカートの中に入っている。ただwalkmanに移すためのPCが不調、ネットはそもそも繋がってない、何ならwalkman自体不調、修理期間終了、俺御愁傷。韻を踏むな。買ったところで…と思い悩んでいる。いや車で聴けるしPCもwalkmanも叩き起こせばなんとかならんでもないんだが。でもなんだか踏み切れない。PCとwalkmanは何にせよどっかのタイミングで新調しなくてはなあと思っているんだけど、うーん。
終わりがないことに怯えていた。最初は終わることにひたすら怯えていたのに、好きでいることが長引くにつれ、学生から社会人になって「これもしかして下手したら定年まで続くの?」って思うようになるにつれ、終わらないことの方がなんだか恐ろしく感じるようになってしまった。区切りがないこと。生温い湯の中で永遠に揺蕩わなくてはならないこと。
ムックとは別の、めちゃくちゃ入れ込んだバンドに通っていた当時、ずっと「これはいつになったら終えられるんだろう」と思っていた。その頃大学出て非正規社員だったしね。生活の基盤がしっかりしていると自分では思えていなかったのもあるだろうが、まあ、怖かった。足元が常に揺らいでいるような怖さだ。「いつになったら終えられるんだろう」、つまり、「いつまで好きでいられるか」。
その渦中にもう一度飛び込んでしまうのではないかと身構えている。だからCDが買えない。当時好きだったムックのPVを見ていたら温度の高い好きという気持ちを思い出しかけた。危ないと思って途中で止めた。曲を聴いてうんうん素晴らしいね最高だねとへらへらしていられる内はまだいい。「人」に感情移入し始めたらまた同じことの繰り返しだ。顔を思い浮かべる必要はわたしには無い。
終わってほしくないから終わらせたい。終わることと終わらないことは終わらないことの方が怖いから終わらせたい。もう傷つきたくないんだよ、例え一人相撲だとしても。
何だかんだ事務面が~とか、やり方が不誠実で~とか、それらしい言葉を並べてきた。それはそれでわたしは事実だと思う。でも今思えば、もう少しすれば10年一昔になってしまいそうな今になってふりかえれば、あれは、あれは。
高校時代わたしは教室で追い立てられるような疎外感を感じていた。孤独に潰されそうなとき、わたしはずっとcali≠gariを聴いていた。「冷たい雨」、「『依存』という名の病気を治療する病院」、「夏の日」。この3曲には随分世話になった。イヤホンをしていれば誰の悪意も耳には入って来なかった。音楽で自分を奮い立たせることは出来なかったけれども、少なくともこれらの曲がなければわたしはとっくに磨り潰されていただろう。
そういうものを作った人たちが、孤独を理解し寄り添ってくれると思ったバンドが、わたしが苦しんだのとおんなじようなことをしてあんな脱退劇を仕立てたことが、わたしは本当に、本当に許せなかったんだ。
何も言わなかった。あの広い野音で、誰も何も知らされてない状態で、突然たったひとり舞台に立って「去ることになりました」そんなふうな言い方をした。理由や経緯は勿論、ほかのことも多くは語らなかった。そんな人を、いなくなった後でよってたかって「抜けてもらった」だの「そろそろ覚悟決めなよって言ったんだよね」だの、そんなもん、誰が、誰が許せるって言うんだよ、ふざけんなよ…!!
ただの個人的感情だ、逆恨みに近いものだ。それでもあのやり方でさえなければわたしはまだ信じていられただろうなと思う。或いは他のなにかを愛せたかも知れない。だけど未だに、未だに苦しくなるくらいどうしても許せない。全て捨てられたと思っていたけど、素敵な音楽に出会う度に、誰かがバンドへの愛を語るのを見る度に、わたしにはいつも傷がつく。わたしもそうなりたかった。羨ましくて苦しい。出来ることなら何かを愛していたい。わたしにはそれがcali≠gariであってほしかったのに。誰かを好きでいる間だけは自分の嫌なところと向き合わなくて済む。だけどもう、たぶん一生、出来ない。
ねえ、他人に期待したわたしが悪かったんだろうか。
ねえ、他人に期待しないで生きていける人間なんているのかな。
クローズドのところでは知らないけれど、少なくともあのときのことを悔やんだり謝ったりするのを見たことはない。これは嫌味。まあ、別にもう悔やまれても謝られても意味はないし、そうしてほしいわけでもない。大事だった3曲は全て再録され、復活後の大学時代に出会った大事な曲もいずれは再録されるだろう。それで全て上書きされて終わりだ。わたしはきっとそのときまた怒り、そして泣くんだろう。クソだな~~ッッッ!
とっととやってしまってほしい。もう何にも考えなくて済むように。全部終わらせてほしい、その手で。そうしたらわたしはまた他のなにかを好きになれるかも知れない。分かってる、今更あんたら以上に好きになれるものはないことも。でももう怒りたくもないし、泣きたくもないし、思い出す必要すら多分ほんとはなくて。それがあまりにも虚しいね。
わたしも言いたかった。どうせならありがとうって。それでたくさんの人に共感してもらえたら嬉しかっただろうなあ。恨み辛みしか言えなくなってしまったよ。だけど、わたしのせいじゃない、あんたらのせいだよこれは。一生背負え。一生恨まれろ。わたしに一生呪われろ。
許さないことで果たされるものがある、まだ。
おえ、喋りすぎた。
ムックのアルバムは来月買います。車で聴きます。
https://twitter.com/_3_2_5_/status/1493216958543589378?t=du4faum72Gjd0sgSxUtNbw&s=19
素敵なツイートでしたので共有させて頂きます。わたしもこうなるはずだったんだ…