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おなじことをなんどでも書く

♪:さよなら、スターダスト

 

 

 

わたしはあと何回このタイトルで記事を書くつもりなんだろうね。喋りすぎなんだよ。心情を100吐露することって全然是ではないからね

 

眼前に迫った推しのコンサートに死ぬほど怯えていて、それは音楽的な好みの相違やライブのノリで「楽しめなかったらどうしよう」という気持ちが大きいというのは以前の記事でも前々からも触れているんだけど。あともうひとつ大きな理由があって、まあ一言で言ってしまえば醜形恐怖症だ。ていうか醜形。明るくてキラキラして若くてかわいい女の子達に囲まれるのが、なんだかとてつもなくこわい。その中にいなきゃいけないのがつらい。実態がどうかとかはどちらでもよくて、なんだろう、アイドルを好きになると中身まで乙女にならされるんだろうね。半分笑い話ですけど。外見の劣等感だけじゃなく、内面の劣等感さえ意味もなく独り相撲で大いに煽って。仕事から帰ってきて自分の顔面に向き合ってあーでもないこーでもない、メンカラ全然似合わないだのカラコンどうしようだの、服はあっちがいいこっちがいい、体型に合ってないとかヒール履いたら迷惑だよなとか。誤魔化して。気が滅入る。こんなのバンギャル時代にやったことなんてなかった。いややっとけよって話だけどさ!

なーんて、ああ、毎日ちゃんと運動して甘いもの美味しいものの誘惑にもそこそこ勝ち越して、化粧して、服買って、なんだかんだ健気でとってもかわいいもんじゃないですかわたしって奴ぁ、と思って奮い立たせている。別に見られもしねえだろうしよ。座席遠方本人豆粒でしょ。そんなふうにあっちこっち飛び跳ねた情緒で、奇妙な不安と向き合わないように運動しまくってたら以前やらかしたヘルニアの波動を感じるようになっちゃってさ。がっつり系の運動はやめようと思って散歩にしたんですよ今日は。結果1時間20分歩いてた。どうかしてる。最初はアイドル曲ばっか聴いてFATEと絶体絶命とカメレオン本当に最高だなーとかうやむや大好きだなーとか思ってたけど、湿度が高くて気温も高い日だったから、ふと思い立って流し始めるわけじゃないですか、さよなら、スターダスト。

 

しょうがないよな。

音楽を丸呑みできないのも、カルチャーに馴染めないのも、メンバーの「参戦って言葉より仲間に加わるって言い方の方が良くない?(意訳)」って言葉に瞬時に「ヤダよ、戦えよ俺と、喧嘩しろよ、もうこんなんどう足掻いても相容れないよなあ…」って戦闘民族丸出しで特大の苦笑が出ちゃうのも、12年前の曲に、干支が一周してるにも関わらず懐かしさも覚えられないほど聴いた音楽に、未だに街灯が滲みそうになって目を閉じるのも。

しょうがないの?

わたしが神山くんを好きになったのは完全にたまたまだったし、独立した出来事で、誰の影響でもなく、純粋に自分の選択だった。だけどどこかでずっと思ってる、「わたしは青さんの代わりをどこかに探していたんじゃないか」って。都合良く神山くんにしたんじゃないのって。嫌なことを忘れるようにして音源を買い漁って、音楽が好みじゃなくてずっこけて、だけど時々当たるのはそれなりに楽しくて。それが悪いかと言われるとそうでもないのかも知れない。並べること自体妙な話ではある。そもそも失礼かも知れない。そして多分だけど、代わりなんて、そんなことはないんだと思う。完全に偶然だし誰もが誰かの代わりになんてならない。関係無いよね。だけどわたし、やっぱ、人生で一番呼んだ他人の名前って青さんなんだよ。それって恐らくもう塗り替えられない。きっとこれからもこうしてさよなら、スターダストを聴く夜がある限り、心のどこかで青さんの名前を呼び続けてしまう。

そうじゃなくなってほしかった。楽しい記憶もつらかった記憶ごと、若かった自分ごと消えてほしかった。全部上書きされてほしかった。7期のcali≠gariはもう地球上のどこを探してもいなくて、いなくなって今年で10年になる。自分でもよく分からないけれど、10年の月日が経つのをずっと待っていたような気がする。もういいでしょって。もう許して、放っときなよって。自分のことも相手のことももういい加減にしなよって。長かった。すごく長かった。ちゃんと生きてきたような気がしなかった。何度も何度も捨てようとしてきたんだよ。なのにその度に僅かな欠片を拾っては次は、と思った。最近になってやっと普通に、神山くんを好きになってやっとなんの気なしに、思い出話としてcali≠gariのことを口に出来るようになった筈だったんだけどなあ。

 

あーーーーー!

だめだ、やっぱだめだーーー!

ずっと第7期cali≠gari追っかけていたかったなーーーー

これ一生想い続けるのかなーーーー

 

何をしても誰を好きになっても結局ここに帰ってきてしまう。音楽を聴く度に嫌でも何度でもよみがえる。気温が、湿度がよみがえらせる。

戻れないことも、戻りたい場所はもう姿を変えてしまっていることもこんなにも分かりきっているのに。ついていけないのなら諦めるしかない。分かってるんだ。帰る場所はない。どこかにいたいなら新しい場所を探すしかない。だけど自分の根っこにこびりついて剥がれやしない。あの夏が、あの夜が、あの日々が。まだ落ちない。思い出補正でしょって笑えない。

生きてる限りこうなのか。人生がこうなのか。わたしの心が10年後の今もまだ、ずっと7期cali≠gariにある。あそこにいたかった。あそこがわたしの居場所だった。他のどんなところよりも安心できる冷たい優しさで、どんなものよりも好きだったんだ。何と引き換えにしてもずっとあの場所にいたかった。いい加減にしてくれ。