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おなじことをなんどでも書く

♪:夜明け前

 

 

 

メリーの新曲を聴きながら泣きそうになっている

 

 

もうすぐこっちに越してきて1ヶ月が経つ、明後日から実家に帰省するけども

あんまりよくないなと思うのは、何気ない町並みに、職場の人の方言に、あった筈の今はないお店に、そういうものの端々に、大学時代がフラッシュバックすることだ

 

250円。アルバム1枚に3000円なんて出せなくなったけど、サビのメロディがあまりにも好みどストライクだったので250円ならいいかとDLしてしまった。歌詞は読んでない、ただメロディと歌声が良いなと思った。プリミティブだ。もしかしたら前向きな明るい歌詞なのかも知れない。そうじゃないといいなと少しだけ思ってる。

もうバンドにも自分にも何かしらの夢は抱かない。意志を持ってそうしている。今は余生、ただ大人しく日常を維持し、自分の精神を壊さないことだけに心注する。心を動かしたいとさえもう思わない。つーか異動しただけでお腹いっぱいなわけ。

だから音楽に沈み込むことも出来ないと思ってるし、しない。あのバンドはもうずっと聴いてない。前の部署にいた1年くらい前に車載用のメディアプレイヤーは反応しなくなって、ああ壊れてしまったんだなあと思っていたのに、先日、こっちに来てから思い出したように再生を始めた。何度もOFFにした。繋げなければいいだけなんだけど。

なんだけどねえ。ここにいるとねえ。駄目なんだよねえ。

手足の動きが鈍くなるほど寒いと耳や目の働きが良くなるとでもいうんだろうか。

 

もう戻れないことを思い知る。ずっと前からわかってたよ、わかってるよ、何度も戻りたいって思った結果の今だから。だけどああこういう音楽が好きだったなと、このボーカルの声が懐かしいなと思う度に、全てが過去形になっていることを嫌でも思い知るんだ。通り過ぎた景色ばかり思い出す。

 

四方を山で囲まれた地を、先輩は「憂鬱になる」と言って、半年で帰ってきた。閉塞感はある。わたしの10年前の4年間は、その閉塞感にそれなりに潰された。今のわたしは、数時間車の運転を我慢すればここから抜け出せることを知っている。

 

どんなに異動が寂しくてもいずれ慣れる。どんなにわたしが寂しくても他人にとってはどうせ他人事なのだ。わたしの感情に誰も責任を取ってはくれないし、共感に癒やされたとて孤独の根本的な解決になるわけでもない。背中を撫でて寄り添ってくれるわけでもない。もう学んだ。泣いても意味はないこと。状況は変わりもしないこと。他人にとっては些末だってこと。縋りつきたい気持ちが無駄なこと。わたしの感情はわたしがどうにかするしかないこと。だから耐えるしかない、慣れるまで。いつか時間が経てば何もかも平気になるし鈍感になれる。帰りたくて帰りたくてしかたなくなったけど、帰ったところで席はない。黙って耐えていればここがいつかそれなりに居場所になる。それまでじっとしているしかない。

寂しくても、寂しくても、悲しくても、悲しくても、苦しくても、苦しくても、わたしは自分でそれを、ひとりでそれをなんとかする。ひとりでたえる。だれにもたよらずにいきていけるようにならなければ。

 

 

あの頃のわたしには音楽があった。返せるものはなんにもないけど、あの頃の自分によかったねと声をかけられる今がある。そういう乖離した今に、音楽を聴いて泣きそうになるだけの感受性があるとは思ってなかった。

下世話な勘繰りなんだけど、多分もう前しか向けないんだろう。でもそれでいいんだろう。人生は不可逆だ。どうにかして進むしかないんだし。どっちが前でどっちか後ろかなんて、最後にしかわからないものなのかも知れない。

 

 

 

めちゃくちゃ良いですよ、メリーの「夜明け前」。

前向きな歌詞じゃなければいいなあなんて最低な評だと思いますけどね。