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ほぼ月記

♪:紅蓮

 

 

 

 

中学のときの友達がカラオケで歌った貴女ノ為ノ此ノ命。とザクロ型の憂鬱、思えばこれがわたしのヴィジュアル系とのファーストコンタクトだった。正直最初は引いてたけど、高校になって化粧が薄くなった時期のムックとメリーを聴き始めてそこからヴィジュアル系にどっぷり浸かっていって、改めてthe GazettEも掘っていった。世代的に00年代ネオヴィジュアル系真っ盛りの時期だったんだけどthe GazettEとシドとナイトメアとアリス九號.なら絶対的にガゼ派だったよわたしは。今だって定期的に昔の曲を聴いてる。幸せな日々とか春ニ散リケリ〜とか東京心中とかさあ、まあ好きなんだよね。メロディーの良さもさることながら自己犠牲の恋愛とか身を滅ぼすような片想いとかね、憧れるじゃないですか。信仰と崇拝が恋心の軸であるわたしの中の厨二心がめちゃくちゃシンパシー感じてしまうんだよね。例に漏れず、手垢のつきまくった表現で、一度でいいから見てみたいなあと思ってた。生で見たことがないからかな、外野だからかな、言及も憚るべきなんだろうか。でもわたしの音楽史の中でthe GazettEって名前絶対書かれるからさあ。しょうがないよね。だから全然、嘘みたいだ。信じられない。本当のことだと思えない。近々、天界でフェスやる?

 

行けるときに行っとけば良かったとか、推しは推せるときに推せとか、何度も言うけど好きじゃない。もっと早く出会っていたかったとか、そのときに出会ってくれてればとか、そういうのも嫌だ。そりゃあ愛せる内に愛していられた方がいいよ、そんなの当たり前だよ。でもそれは焦燥感を焚き付けてまるで金言のように衒ってどうしようもない後悔を煽る。意味が無いどころじゃなく、質が悪いから。タイミングは選べない。

 

じゃあ、選べなかったわたしに何が言えるというのか。

 

 

 

わかんねえな。

わたしもここまで随分長く生きてきたような気分だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

止められない。巻き戻せない。何にも届かない。なんて無力で無意味で無様なんだろう。何度も何度でもその事実に絶望する。それでも好きでい続ける意味って何なんだろう。見返りを求めすぎてる?愛しただけ愛されたいって思うのが罪?それなら、やっぱ今が罰じゃん。

「永遠なんてない」をそちら側に言われることほど虚しいことはない。そんなことは痛いほど分かってる。示されるのは仕方ない、仕方ないよ、でもそれを言われたくない。いちいち冷や水かけんなよって舌打ちしたくなる。泣きそうな気持ちを押し殺しながら。嘘でもいいから永遠だって言ってくれた方が良い。一瞬を永遠だと思ってよ、解ってよ、そしてそう言って、お願いだから。