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おなじことをなんどでも書く

 

 

 

作ったものではないからを言い訳に薄い膜一枚分のめり込めなくて助かると言いながらキミがその手で書いたものはボタンひとつで避けている

 

そういう時期だ。毎月だか隔月だかよく分からない周期でやってくるどうしようもない憂鬱だ。気温かも知れない。この地は温暖な場所で育った人間には堪える低温を繰り返す。呼吸をする度に鼻の中で薄っすら血の匂いがする。もうすっかりお決まりになったコースを歩くと、地元からは1〜2週間遅く桜が川のそばで咲き始めている。続いた雨と風の濁流をよそに。見上げる花は桜だけだ。だから象徴として愛されるんだろう。

こうなれたと思うものはいつだって簡単に見失う癖に、こうなりたかったというものだけは目ざとくどんな小さなものも拾って増え続けていく。あのときの影響は色濃く、未だにわたしは結束を見ない。優しくもなれない。愛を受け取る方法も覚えない。最初から諦める、望まない、信じない。それが自分を守る唯一の方法だからだ。傷つくのが怖いのではない。傷つけようとする自分になりたくないからだ。

見返りがないのはもう嫌だ。孤独を深めるだけの好きならもう要らない。何も無くていい。この先ずっと、あの頃のような言葉も自我も蹴散らすような感動に飲まれることはないだろうという納得が何よりわたしを独りにする。