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おなじことをなんどでも書く

♪:Strike a blow

 

 

 

 

ツイッターも「おやすみ」って呟いてからが本番みたいなとこありますからね

ここ最近のツイートまとめみたいな記事です。

 

さてわたしは31日の19時過ぎまで仕事です。つまり明日も普通に働くわけで言ってみれば何の変哲もない平日土日の連続なんだけど、わたしが変わりなくてもお客様は変わられていくわけでどうしたって空気に当てられるね。年末の家族連れからの家族連れまあ〜当てられるわ。あと明後日1月1日一粒万倍日に来るであろう結婚ラッシュ、腹に力入れないと耐えられない気が今からしている。ホゲェ。かといって自分に結婚願望らしい結婚願望はあんまりないんだけれども、ほら、こう、幼少期から植え付けられてきた「常識」「規範」って払拭するのものすごく大変じゃないですか。人間って環境だもん。したくなくても比較して必要以上に内省して落ち込んだりしてしまうけど、もうこんなん自分でコントロール出来るようなレベルじゃないな、認めたほうが楽だなって思うようになりました。物が飛んできたら目を瞑るっていう反射と同じ。自分を愛そうとか、自分で自分の機嫌を取ろうとか、そんなレベルのお話じゃないんですけどってことは全然たくさんあるし、そこでそんなん言われたらそう出来ない自分がダメなんだってますます内罰的になるだけじゃないですか。モヤモヤしたりどこで間違えたのかなって思う自分に対して考えないようにしたり否定するんじゃなくて、まずはただ頷いていくようにしたい。オッケーを出すのは「ひとりを選んだ(ことになりつつある)自分」という虚勢にではなく、何よりもまず先に「ひとりが寂しいときもある自分」に対してだよなって。最近気付いた。そういう自分にそんなん当たり前じゃんか、オッケー!ってマルつけてこ。いかり肩俺、肩の力抜けよ。

年末年始というか年越しを他人と過ごしたことがないんですよね。友達すらないもん。だから余計に虚しさを感じるのかも知れませんね。思わず実家に帰ろうかなと過ったくらい。高速混むとめんどいし他にめんどいことがあってもイヤなので帰りませんが…

 

この間大学時代の友達に会ったとき「人生設計を40年で考えてる」という話をちらっとした。うーん、なんかすごい構ってちゃんみたいだったかも知れない。別に40で死のうと思ってるとはっきり言ったわけではないしわたしの中で死にたいは明日のお昼にめんたいこパスタが食べたいくらいの感覚でしかないんだけど、多分そういうところがダメなんだよな。ただそれを話したときに「そんなん寂しいじゃん、10年後も遊びたいのに」みたいなことを言われて、あーやらかした、言わせてしまったなーと思うと同時に厨二病の死にたいよりは信憑性が出てきたんだなと思った。信憑性。信憑性ねえ。それに対して良かったと思ってしまった自分の底意地の悪さよ。どうせ死なないくせにと言われるよりは普通に助かるなと思った根性の悪さよ。でもまあ、実行出来るかどうかは別として、心持ち的には結構本気だし、正直多分もう何にも抑止力にはならないだろうなとは思ってる。好きなものも嫌いなものも仕事も推しもお世話になった人も友達も親も、なんか、もう何もわたしを食い止められないだろうなって。11月末に実家に帰ったときにうーんまあわたしがいなくても別に何とかなるっしょと思った。わたしがわたしを大事だと思ってないから多分しかたがないことだと思う。どっちでもいいの。今やらなければならないことはとりあえずちょっとした貯金を作ることくらいかな。

 

むしろ今のところ一番わたしを食い止めているのは汚え台所とガステーブルと掃除してない風呂トイレに排水溝、でも掃除するとちょっと気持ち上方修正されるってんだからうまく出来ているよね。それにやべえくらい増えたスマホの中の推しの画像とCDとブルーレイ、雑誌に写真にカレンダー、ああ、顔が好きって怖い。見られたらそれこそ死んでしまう、180度違う方向から結果的に推しがわたしを食い止めている…

久しぶりに「顔が好きだな」と思う子に出会って改めて思うけど、好きな顔からしか得られない栄養素って本当にあるよね。美しい顔可愛い顔格好良い顔、美貌の種類はいろいろあるし否応なく感心させられるような整いっぷりのお顔の方もいらっしゃるけど「好きな顔」って実はあんまり出会えない気がする。別に特殊な好みをしているわけではないはずだが…ほら響くか響かないかって人によるし。ていうかこと趣味的な話で言えば「顔が好き」っていう価値基準、めちゃくちゃ良いとわたしは思ってるんですよね。知り得もしない曖昧な中身よりずっと明確で単純で不変だし。だから顔ファンって良いと思うんですけどね。別に何一つ体験談ではないですけど、わたしも性格が好きって言われるより顔が好きって言われる方が嬉しく思うかも?うん。知らんけど。ていうか以前は推しに対して別に可愛いとも好きとも思っていなかったはずなんだ、普通に見れていたんだ、印象が良い子だな〜としか思っていなかったはずなんだ……何故…いつの間に…こんなに可愛く見えるようになった……???変な脳波が出てるとしか思えない、怖…でも顔が可愛い、顔が好き……ええ…??

あーていうかインスタライブしててさあ、推しが。超待機して食い入るように見てあまりのことに回路狂ってメッチャ可愛いなあって毎秒思ってちょっと頭パンクして、興奮が落ち着いて冷静になった頃に考えたんですけど、やっぱあれ距離感バグを演出する装置だなって思いました。単純に画面近くてテレビ電話してるみたいだしリアルタイムだしコメント拾ってくし。これを頻繁に食らってる今の若いオタクの子、情緒ぶち壊れない?大丈夫?

わたしは思春期(≒オタク全盛期)をギリギリネットが普及しきっていない時代に過ごしてきたので、所謂「推し」って遠いところにいて手が届かなくて同じ時間を生きてることも実感出来なくて神様みたいな存在で、実態なんて知らなくて最早実在するかも確信がなくて……っていうものだったわけで、つまりインライのようなシチュエーションに耐えられるメンタリティじゃなかったんですよね。これが今の「普通」なのに、感覚的なものはなかなかアップデート出来ないもんだなって。

ネットが普及したことによって対象は神性を失ってこちらも心酔しにくくなるし、距離の近さ反応の速さこそ魅力の主たるものとして扱われて境界を見誤るきっかけになってしまうし、「推し」という言葉と派生語によってカジュアルダウンされて語られてしまうし、ファン同士可視化されてカネを注ぎ込めば注ぎ込むほど偉いという価値観さえ出来てくるし、わたしの感覚は必ず古くなっていくけど、なんだ、どうしても踏み止まりたい。

やっぱ覚悟出来ないし腹も括れないよ。あんなつらいのもうやだし。自分もカジュアルダウンされた好きでいられればいいけどさあ、好きの質がドロドロのベッタベタのグッチャグチャなんだもん。依存先を増やせっていうけどこちとら猪突猛進型地獄の果てまでついていく蠍座の女だよ。ひとつしか見えねえのよ、増やせねえよ。心酔してのめり込めれば運が良くて他に逃げ場がなくてのめり込んでいる可能性だって充分に有り得るような社会情勢で、こんなの危険すぎる。

好きなものがあるから、楽しいことが待ってるから頑張れるなんて全然願い下げなんですよね。そんなんなくても人間は生きられるし生きてていいんだよ、何かにのめり込む必要なんてどこにもないんだよ。それに助けられていた時期も確かにあるけどわたしはそれ以上にその反動が大きかった。もし何かしらの事柄が自分の中に引いてあるラインを超えてしまったとき、手のひら返して蛇蝎の如く嫌って烈火の如く責めそうで、わたしはそれが何より怖い。自分の苛烈さが。そういう浅ましさが。どんな形であれ好きなものを嫌いになるのは苦しいから、だったら出来れば最初から好きなものをもたないでいたい。

バンドは「音楽」を好きでいられたけどアイドルは「人」を好きになるので余計に質が悪いね。

何で嫌でも何かを好きになってしまうんだろう。素直に愛することも出来ないのに。可愛さ余って憎さ百倍なんて結末最悪なんだよ。無事に終われる慈愛でありたい、出来ないけど。だっていつだって恋だ。

 

 

はー、同じことばっか書いてるな。同じことばっか書きます、年が変わっても。今日はこのへんで。今度こそ良いお年を。