kirakunikakitai.com

おなじことをなんどでも書く

送り火


やっぱり書くのって楽しいわ。中学のときに日記を書き始めて以来長期的に書かなかったのってほんとここ最近だけなんだけど(特に書くことがなかったから)、それでもやっぱり自分の海にしかないものが出力されて文字という形になるのは楽しい。


▼0716の雑記



残業2時間弱オエー!世の中の会社の残業時間がよく分かりませんが今月30時間越えてしまうのではなかろうか…いやしたくない…したくないんです残業…残業代より家なんです…でもサービス業は何はなくともそこにいることも仕事になってしまうので…やむを得ない…

うちの部署というか会社全体的にパートさんはわたしより年上の方が多いのですが、そういう方たちと話すのってめちゃくちゃ面白いね。勿論人にもよるけれど、同世代や年下の子たちと話すときにどうしても張ってしまう見栄や思い込んでるキャラクター性とかがなくなっていいです。経験豊富な相手じゃどうせ見破られるし、嘘ついても虚勢張っても何にもなんねーなっていう安心感がある。だから結構包み隠さずいろんな話をしている。
大人はいい。責任を持たせてこないし持とうともしてくれない、そういう距離感が保てる大人は。話してて楽だ。深刻になりすぎず、だけど大変だね気を付けてねって言える間柄。どうせ他人、だけど仲は良い。そういう距離感。
相手にとっても話してて楽しいとか気楽だと思われてたらいいね。甘えてる節はたくさんあるんだけど。

中高生のときは自分のコンプレックスとかスクールカーストとかヒエラルキーみたいなものが邪魔で生きるのしんどかったけど、大人になったら自分のことすらどうでもよくなるし無駄に貶されることもないし美醜の価値もそっちのけになってある意味すごく生きやすくなりましたわ。
どうなんだろう、自分の心持ちの問題なのか。だとしたらこの気持ちで学生生活やりたかったかもな。でも集団で競わされると必ず順位付けとそれに伴うしがらみは生まれるし、自分の心持ちひとつでどうにかなったとも思えないような気もするんだわ。
もし大人になってもガッコのノリを続けてるような環境に置かれてたらちょっと離れてほしいなって思うくらい。そう思うと恵まれてんのかな職場…いや結構しんどいですけど…人に関してはこれが普通だと思いたいわね…



朝出勤するとき空が高くて夏を感じた。反対車線が見えないくらい生い茂った緑。真夏。湿度が高い海側の夏だ。若干涙腺が緩みそうになって相変わらず感受性が豊かだなあと自嘲した。感受性が豊かって全然褒め言葉じゃないよね。苦い情緒だ。不安定。
季節の移ろいとか風の匂いとか、日が沈む前の美しさとか、そういったことに心を動かしたくなくてなるべく見ないようにしている。外に目を向けないようにしている。そこには過去しかない。取り戻せないものしかない。記憶の中にあるものと照合すること、或いは感じた瞬間から消えていくもの、今すぐ過去になるものだからだ。わたしはそこに未来を感じ取ることが出来ない。

8月に法事がある。七回忌だそうだ。父方はボイコットしまくってる癖に母方はちゃんと出る。しようがない。
母方の祖母のこと大好きだったんだけどあんまりちゃんと話をしたことがなかったなと思った。日常の些細なやりとりだけだったような気がする。何になりたい、どんなことがしたい、何をしてきた、どんなことをしたいと思った。対話といえるものをした記憶がない。わたしは家族というものに対してはみんなそうなんだけど。
赤の他人だから話せることというわけでもないのに、赤の他人には話せて、血の繋がりがあるというただそれだけで生まれてしまう隔たりがある。
膝を突き合わせて話をしてみたかった、かも知れない。どうかな。相変わらず後悔なんてないふりをして時間が経つのを待つのかな。話した中で覚えている数少ないことのひとつは、「私は貴女が成人するまでは生きていないだろうから」だ。小学生のときだったか。まあ結局わたしが成人するまで生きててくれてたんだけどね。
話してみたかったんだろうか。大切なことを教えてくれたかも知れない。だけどいつまでもわたしにそれが出来る気がしないんだよ。

冬に死にたいと思っていたけれど、空が青く高い真夏に逝くのもいいと思った。死体さえ腐らなければ。今のところ結婚する予定はないから、誰をも真夏の法事に付き合わせなくて済むだろう。わたしは嫌じゃないよ。ひとりでもこの空を見られるなら悪くないと思ったんだ。だから迎えに来てね。でももうわたしのことなんて覚えていないかもなあ。鬱蒼と茂る木々をくぐって登った先に墓がある。見晴らしが良く、湖が見える山の斜面だ。わたしは母方の墓に入りたい。