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おなじことをなんどでも書く

劣等感と独り言




幼少期から平均よりかなり太っていたので、行動や性格のことであっても悪く言われるときは必ずそれをだしにされていた。本名の中にあるウ行の文字を「ブ」にされたりとか、「太ってる癖に」とか。そういう揶揄や悪意にずっと晒されていた。まあクソ田舎の閉鎖的空間では平均や普通の範囲から逸脱することはほぼイコールで疎外もしくは侮蔑の対象なのだなと幼いながらに思っていた。
でもそういうことを言ってくる奴よりも自分は頭が良い(※テストで点数が取れる)ということも理解していたので、小中になってからは見た目が綺麗でなくて運動も苦手だけど少なくともお前らよりは勉強出来るもんねー、と無理矢理バランスを取ることでそんなに苦痛でもなくなったと記憶している。それに成長するにつれてそういうのが良くないということも分かってくるものだし。
ただそれはそれとして、テストの順位が出る前の幼い自分、原風景の中で「可愛い」の価値はどんどん上がっていったわけだ。
外見至上主義なきらいがある。
それが愚かしいことも、人はそのままで美しいということも、ボディポジティブ或いはボディニュートラルという姿勢も理解出来るし共感出来るのに、それでも「外見が美しく生まれた者だけに与えられる権利がある」という考え方が深く根を張っているし、それを真実だとも思っている。「可愛い」人にだけ許される幸せがある。「可愛い」人にだけ降り注ぐ光がある。可愛いが正義なんじゃない。可愛い「だけが」、正義だ。

バンギャを上がってコロナが流行し外に出られなくなってからの1年間、なんとなく暇潰しにし始めた運動が功を奏して18kgくらい痩せたんだけど(尚3kg戻りました^^)、それで自分にどんな変化が起きたかというとまあ洋服のサイズが落ちて仕事中息がしやすくなったくらいのもんだった。洋服のサイズが落ちたのは普通にありがたかったけどね。わりかし身長が高いので太ると着られる服が本当になくなるのである。Sサイズの子がLサイズを着るのとLサイズの子がXXLサイズを着るのはやっぱりわけが違う。勿論、どんな体型の人でももっと自由に洋服を選べるようになってほしいと心から思っている。
わたしの中のルッキズムは「顔面を含めた全体的な可愛さ」且つ「主に自分に矢印が向いているもの」であって体型のみに終始しないしそもそも他人にそこまで興味関心ないですしおすし、何よりそれとは別に「ありとあらゆる人が自由に自分の選択を出来るようになってほしい」という望みはずっとあり、それらは共存しうるものなのだ。

ダイエットハイの弊害で他人に対して「何でダイエットしないの?痩せなよ」っていう圧をかけるような気持ちにはなっていないのでそれは良かったなと思うし(まあ最初から心掛けていたことでもある)(インスタとかでよく見るんだけどどんな言い方であれアレは本当にクソだと思う)、ていうか18kg落としても標準体重よりまだあるところは本当にわたくしの怠け癖たるや恐ろしき哉ってところなんだけど、結局ルッキズムについて思うところはあんまり変わってなくて微妙な気持ちになっている。
いや目標は標準体重を下回ることなので、そこにいってから何を思うかが大事かなとも思うんだけどね。でも流石になかなか体重が落ちなくなってきてしまったこともあって、今のところやっぱり「いや元々の顔面と骨格の良さしか勝たん」と思ってるね、残念だね。
だって生まれたときから普通だったらこんな無駄な苦労しなくたっていいわけじゃん。他人の「普通」になるためにさえ、わたしはこんなにも時間と心と体を費やさなくてはならないのに。

人の可愛さを羨ましいと思うし、女の子らしい華奢さを見て腹のあたりが焼けたような気持ちになったりもするけど、30年ずっとそんな気持ちで生きてきたからだんだん諦めがついてくるようにはなった。諦めて「わたしはわたしを愛そうぜ、わたしは『わたし』になるんだぜ」と思えた…かと思えばすぐ「何でわたしこんなんやねん」ってなったりする。あっちへいったりこっちへきたり、繰り返し繰り返し波打っている。波打ち際はいつも「元々の良さ」だ。
幼少期があんなんだったので「生まれついての可愛さ」に執着心がある感じかも知れない。だから後天的な、今尚継続中のダイエットやお洒落な洋服で着飾ること、似合うお化粧を施すことで生まれるであろう「可愛い」の中に「救い」があるとは実はあんまり思えていなかったりする。楽にはなれたとしてもきっと解放はされない、そんな予感がしている。

他人から刻み込まれた劣等感と生きている。
普通から逸脱することが、平均から外れていることがそんなに悪いことだったのか。蔑視に晒されなければならないほどに?
でも(トップが取れるほどでもないにせよ)得意なこともそれなりにあって、ついでに自己顕示欲も強いもんだからそれに殺されることはなく済んでいるのだ。
きっとこれからもそうなんだろう。
可愛くなりたい、元々可愛ければ良かったのに、あの子みたいに、この子みたいに。小さい頃は他人になるのが夢だった。
わたしだって可愛くなりたかった。
愛されたかった。

だけど今から叶えられる気もしないから、諦めないで運動を続けていくし、髪型も変えてみるし、なるべく人と話をしてみるようにして、なんとか踏ん張っていけるだけの材料を集めていくことにしたんだよ。絶賛なんてとてもじゃなくて、肯定だって難しいくらいだけど、わたしがわたしのままで納得出来るようにね。