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おなじことをなんどでも書く

 

 

 

 

糸を編んでいる。長年好きなアーティストの歳をとっても変わらない歌への姿勢、今をときめくアイドルの輝かしいパフォーマンス。素晴らしいそれらを見た上で元いた場所に戻ろうとする法則。相変わらず「あの頃」好きだったバンドの曲を聴いて振り子の位置を正そうとする。そこが正しいのかな、今も?

一等好きだった曲はほとんどに「君」という存在がいて、わたしには共感し得ないものである筈なのにいつまでも感情を波立たせる。歌詞のストーリーというよりも、きっともっと断片的な単語のひとつひとつや、或いは音や声に染み付いた景色や記憶がそのファクターなんだろう。世界で一番美しい音は香りからの想起に近い鮮明さを持つ。調子が良ければ。恋の成就と別離の歌でも思い出すのはいつだってたったひとりきりの部屋だ。深夜と夜明けの間の、ほんのひととき、未来なんてとても考えられなかった頃だから見えた星の降る夜。

生きてなくてもよかった。ここまで。どこかで途絶えていても後悔はしなかった気がする。後ろ向きではなく平然とそう思ってる。11年前の今頃、ライブ帰りの明け方に薄青い光が入るあの部屋で、浮足立ちながら聴いた曲を、わたしは11年後、同じ土地で聴いている。それが良いのか悪いのかは分からないし多分この先も結論は出ないだろう。どうやって死ぬんだろう、わたしは。せめて腐る前にどうにかなっててほしいなとそれだけを思う。そこまでは出来る限り生活をする。