kirakunikakitai.com

おなじことをなんどでも書く

♪:うやむや

 

 

 

 

涼しいを通り越して肌寒くなってきたので喜々として夜散歩に出掛けた。BGMはSixTONESで「うやむや」。夜歩くときにとても合う曲だ。曲名を思い出すときに1回「あやふや」を経由するあたりがしょうもない。車を運転する人に視認性がいいように普段は絶対に着ない明るい色のパーカーを着て出掛ける。ちょっと温まるくらいで汗だくにはならず、なるほど確かに秋だと思った。大学生のアルバイトの子の就活相談を控え、うんうん悩みながら歩く。聞かなかったことにしてねと言われながら何度目かの昇進の話をされ、うんうん悩みながら歩く。責任重大で荷が重い、どちらも。わたしは他人の人生にあまり深く関わりたくなく、頼れる(というより押しつけられる、甘えられる)相手がいないポジションにも就きたくない。ヘラヘラしながら生きていたいなあと思いつつ、でも、頼られれば応えたくなるし評価されればやる気は出る。ジレンマ。どちらにも思う、わたしでは力不足だろう。

大学生の頃から夜になっては出歩き、空気を深く吸い込むために散歩をした。地元では歩いていても面白みを感じなかったしシンプルに怪しまれるのであまり歩かなかったけれど、今住んでいるところでは近くに大きな公園があり散歩がしやすい。誰もわたしを知らない。厳密には知ってる人もいるがまあ。そして気候もよい。今の御時世夏はどこも暑いので難しいがここはとにかく冬がいい。肌を刺すような気温の低さ、それ故のまばたきをする度に水分の存在を感じる睫毛が凍る感覚が好きだ。何かを深く考えることもできるし何にも考えられなくもなれる。公園のベンチに座ってボーッとゆれる水面を眺めながら考える。多分わたしはもうすっかり過去この街で陥った自己嫌悪の渦を忘れられているのではないかと。ベンチから立ち上がって公園を抜けて図書館への道を行く。

市立図書館はこの街で大学の次に苦しい思い出となっている場所だった。だから行きたい行きたいと思いつつなんとなく避けてしまっていた。10年前に住んでいたアパートからは坂を下って折り返すルートしか知らなかったけれど、歩いてみれば今のアパートからは徒歩5分程度しかかからない。徒歩5分を、10年前の自己嫌悪でこの1年忌避してきたのだ。何度か深く息を吸ってゆっくり吐いて、駐車場から真っ直ぐ歩いて立派な建物の前で立ち止まったとき、窓に映った自分の影を見て「わたしは変わったんだな。多分、そう悪くはない方向に」と思った。

まだこの街にいたいと思った。もし昇進の話が本当になるなら、地元には帰りたくないと思った。今この瞬間の気持ちだけで言えば、一生ここにいても構わないとさえ思った。

だけどわたしはひとところに留まることが出来る仕事ではない。転勤族であるからして、10年後どころか5年後さえ自分がどこにいるか分からない。それでいいと思っていた。その上きっと明日になればそれがいいと手のひらを返す自信がある。そういう転々とする感情と生きている。それでもここから離れることをつらく感じる日が来るだろうと初めて思った。仕事に関してはどこへ行っても基本的にやることは変わらないが、関わる人は嫌でも変わってしまう。今が一番楽だ。夜に散歩出来る環境も自分で思うよりずっと気に入っているみたい。それでもここを永続的に本拠地にすることは出来ないのだ。離れたくないと泣く日が来るかも知れないと思うとは。なんという僥倖だろう。なんという変化。「苦しい思い出を上書きして帰りたい」と1年前に書いたけれど、多分実行できるし、上書きじゃなくて名前をつけて保存かも知れない。それもいいよね。それどころか帰りたくないって言い出しちゃうかもね。よく頑張ったね。

勿論明日には今すぐ地元に帰りたいと思っている可能性がなきにしもあらず、いいのだ、別に。うやむやで。流動的な自分の感情のひとつひとつにいちいち責任を持たなくたって。適当でいることも時には必要なんだ。10年前ではそうは考えられなかった。

やっぱり気になってたパン屋に行こう。好きなだけ買ってよしとする。コーヒー屋にも行こう。図書館にも入ろう。アルバイトの子と話すのは奇しくも0927だ。青春の終わりを告げられたあの日、9年後にこの土地で大学の後輩と話すことになるなんて全く想像し得なかった。出来るだけのことは伝えたい。昇進は普通に全然受けたくねえんすけど、それでも本当に上げてくれるのであれば、評価してくれる上司の顔に泥を塗るような真似は絶対にしない。

儚い秋が終わればじきに冬が来る。この街に来て好きになった季節だ。