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おなじことをなんどでも書く

消耗

 

 

 

昨日はほんとに疲れた。一昨日も疲れていたので昨日も、か。冬場は太陽を浴びる機会が減るからかバッテリーが満充電にならず、朝起きた時点で6割残くらいの感覚で仕事をしたり作業をしたりするので消耗が激しく疲れやすい。1週間後に迫った友達との集まりでサプライズでお祝いしようぜという案が出た。出るばかりだ。祝いたい気持ちとは全然違うところに「まあわたしは祝われること無いですけどね、全部出ていくばっかりですね」という他では吐露出来ないどこに向けたものかも分からない苛立ちと虚しさがあり、そこから目を背けることが出来ない。金額の多寡ではなく、気持ちの大小でもなく、なんだろう、ただただ擦り減っていくんだ。いっそこのまま減り続けて塵になりたい。

減っていく心にパテを無理矢理塗り込むようにして推しのCDやDVDを買い込んでいる。財布を開くことしか愛やら感謝やらの表現方法はない、そしてお金を遣うことしか40%分の馬力の調達先がない。踏ん張るために何かを買う外発的動機付けもいつまで持つかは分からないけれど。ついにライブブルーレイに手を出してしまった。お小遣い制の学生時代、わたしに6000円は高価すぎて「映像作品は行ったライブのだけ」と決めていたのに今じゃもう後先のことすら何でもどうでもいいですよとばかりに3枚買った。多分見切れないと思う。聴けていないアルバムがまだあるのと同じように。まあアルバムに関してはあんまり遡って音楽を聴きたいと思わないのもある。出会ってから間もないときはなるべく今時点から近いものを聴きたい。合わない音楽性も映像があれば馴染めるようになるなと気付いたのがまた購買意欲を加速させた。狂ったようにずっと見てる聴いてる。画像なり映像なり歌声なり、自分でも引くほど頗る可愛く思えて仕方が無い。待ったをかける冷静さを押しのけて行き場のなかった「愛したさ」を偶像傀儡化した虚像に向けている。繰り返すか?繰り返すなよ。でもね今のところほんと大丈夫。まだとにかく可愛くてたまらないだけだ。これが例えば作品で、文章で、思想で、強烈なシンパシーで殴られたときが一番危ない。わたしの回路を奪うほどの鮮やかな言葉がない限り、あんなことにはならないという確信がある。そしてわたしはそれをもう誰にも期待していない。

完全に冬になってしまえばいいのだけど、急に寒くなったりまた暖かくなったり、灯油を買ったりタイヤを交換しなければならなかったりの過渡期支度期間の今はぐずつく。玄関の電球も切れそうだ。しょうがない。ここはどんな方法を取ってでも耐えるしかなく、むしろ何かしらの方法が思いつくのならばかなり恵まれている方だ。恵まれている。そう、わたしはずっと恵まれている。そんなことはもうとうに気付いている。でも満たされない。満たされることはない。